朧夜(おぼろよ)朧の夜 朧月夜 月朧
朧月(おぼろづき)
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パソコン絵画 or 書道
● 季語の意味・季語の解説
春の夜の、水分の多いしっとりした空気の中では、様々なものがぼんやりとにじんだように見える。
そのような状態を朧(おぼろ)という。
星朧、谷朧、海朧、庭朧、草朧、鐘朧、灯朧などと、色々な語とくっつけて用いることも多い。
美しき学校あらば草朧 (摂津幸彦)
特に、ぼんやりとやわらかい光を放つ月は、朧月(おぼろづき)として俳句によく詠まれる。
くもりたる古鏡の如し朧月 (高浜虚子)
なお、多くの歳時記は、朧月を独立した季語として扱っている。
朧月の出ている夜は朧夜(おぼろよ)と表現される。
朧月夜を略したものと考えればよい。
朧夜の手に消えさうな泪壺 (加藤知世子)
ところで、朧のほかにも、水分の多い春の大気の状態を指す語に霞(かすみ)があるが、霞は昼、朧は夜を詠むのに用いる。
● 季語随想
にじむような月の光りが湖面に落ちているある春の夜、私は、自然と次のような俳句を詠んだ。
助手席に香り残れる朧かな
しかし、この句を私は作品として残すことができなかった。
なぜなら、この句を詠むずっと前に、次のような句を詠んで既に発表してあったからだ。
助手席に香りの残る初夏の朝 (凡茶)
この「初夏の朝」の句は俳句を始めて間もない頃の作品で、今読み返すと若さゆえの生意気さを感じる。
しかし、この句、ようやく俳句がわかり始めてきた頃に、句会で皆さんから高い評価をいただいた思い出の句だけに、今もなお愛着がある。
だから、なおさら「初夏の朝」を「朧かな」に替えただけのような句を作品として残すわけにはいかない。
でも、実を言うと、「朧かな」の句も、描いた情景は悪くないものに思えている。
そこで私は、「朧かな」の句を、俳句から短歌へと変身させて、己の胸の中にこっそり残すことに決めた。
俳人が短歌を詠むなど、これまた生意気な話であるが、朧夜の艶めかしい空気の中では、こんなささやかな浮気を楽しんでみたくもなる。
助手席に香り残れる朧夜の遠回りして帰る湖沿ひ (凡茶)
湖沿ひ=うみぞい。
恥ずかしいので歌人の目には触れないことを祈る。
● 古今の俳句に学ぶ季語の活かし方
私の暮らす町の高台には、市民のための小さな野球場があります。
ある朧の夜、その野球場の夜間照明が、にじむような光りの帯を夜空に立たせていました。
次の俳句はその時の感動を詠んだものです。
高台に球場の灯の朧なり (凡茶)
その夜、私は野球場の灯に、やさしさと艶めかしさのようなものを感じました。
実際、多くの俳人たちが、朧・朧月を詠むことで、やさしさ、もしくは、やんわりとした艶を、作品ににじませています。
辛崎の松は花より朧にて (松尾芭蕉)
歌枕にもなっている辛崎(唐崎)は琵琶湖畔にある。
その湖畔の松は、花よりも朧の中で趣が増すという句意。
味噌豆の熟ゆる匂ひやおぼろ月 (中村史邦)
熟ゆる=にゆる。
指貫を足で脱ぐ夜や朧月 (与謝蕪村)
指貫=さしぬき。はかまの一種。
白魚のどつと生まるるおぼろかな (小林一茶)
浮世絵の絹地ぬけくる朧月 (泉鏡花)
朧三日月吾子の夜髪ぞ潤へる (中村草田男)
吾子=あこ。わが子のこと。
汝もまた獨りか仔猫月おぼろ (瀬戸内寂聴)
汝=なれ。 獨り=ひとり。
これらの句と比べると、次の俳句は少々生々しく感じられます。
くちづけの動かぬ男女朧月 (池内友次郎)
ただ、この句を、昭和の初期に、作者が留学先のパリで詠んだものであると知った上で鑑賞すると、その味わいがよくわかります。
最後に私の俳句をもう一句紹介しておきます。
自信作です。
僧の首湯船に並ぶ朧かな (凡茶)
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●凩(こがらし)の果(はて)はありけり海の音(言水)
●ひた急ぐ犬に会ひけり木の芽道(中村草田男)
また、次の名句は、いずれも名詞で上五の後ろを切り、句末は活用語の終止形で結ぶ形をしています。
●芋の露連山影を正しうす(飯田蛇笏)
●秋の暮大魚の骨を海が引く(西東三鬼)
筆者(凡茶)も、名句の鑑賞を通じて、このような美しい俳句の形を使いこなせるようになることで、次のような自信作を詠むことができました。
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俳句の宇宙 長谷川櫂著
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■ 俳句は深くて、面白いなあ… 心からそう思えた本でした!
この章を読み、俳句の「切れ」を「間」と捉え、その「間」をじっくり味わおうとするようになってから、既に目にしていた名句が、それまでとは違って見えてくるようになりました。
また、第七章「宇宙について」も、面白くてあっという間に読んでしまいました。
この章で、「造化」というものに関する著者の考え方を読んでから、芭蕉の時代の句に接する際は、その句が生み出される場としての「造化」というものを読み取ってみようと意識するようになりました。
もちろん、私ごときが読み取ろうと思って読み取れるような浅いものではないのですが…
とにかくこの本は、
「自分が足を踏み入れた俳句の世界は、どこまでも深いんだなあ。そして、深みに潜れば潜るほど、新しい面白みに接することができるんだなあ… 」
そんな気持ちにさせてくれる一冊でした。
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