麗か(うららか) (春の季語:時候)

     うらら うらうら 日うらうら うららけし

麗か
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        フィルム写真をスキャナーにて取り込み


● 季語の意味・季語の解説

 春の晴れた日、太陽が明るく照り、それを浴びて万物が輝いているような様を言う。
 類似の季語に長閑(のどか)があるが、麗かにはより光を、長閑にはより静かさを感じる。


● 季語随想

 俳句をやっていると、長い年月を生き抜き、洗練された言葉たちと頻繁に接することができる。
 そのためか、逆に、生まれて間もない俗語(若者言葉)を聞くと、どうも耳障りでならない。

 きもい。きしょい。(容姿や行動が滑稽で受け入れがたい。)
 いたい。(言動や行動、見た目が場違いで、恥ずかしい。)
 きれる。(他人に対し、我慢をせずに怒りを露わにする。)
 超〜。(とても〜である。)
 〜みたいな。 
   ※この語については、全く意味不明。会話において、とにかく繰り返し文末に用いられる。若者は、「今日は久々に頑張った、みたいな。でもやっぱり駄目だった、みたいな。」のような用い方をする。

 もっとも、注意して美しい言葉を使わなければならないはずのアナウンサーや芸能人が、テレビやラジオで上のような言葉を平気で使っているのであるから、巷の若者がこうした語を多用するのも無理ない。
 かくいう私も、おそらく知らず知らずのうちに、こうした言葉を使ってしまっているに違いない。

 さて、このような最近生まれた俗語の中にも、一つだけ私の好きな言葉がある。
 それは「サボる」という言葉である。
 
 「わび」「さび」を別の言葉で言い換えるのが難しいのと同じように、「サボる」という言葉を、他の、昔からある日本語に置き換えることは難しいようである。
 それは、日本人が、「サボる」ということを、とても不得手にしてきた民族であるからではないだろうか。

 春の麗かな日には、勇気を出して、何かをサボってみるのもいいかもしれない。
 暖かな風が吹き、万物が優しく輝く日には、他人に迷惑をかけない程度に、いつもはできない「サボり」を楽しんでみるのもよいかもしれない。

 厳格な父であることをサボる。
 子供の手本となるような母であることをサボる。
 仕事のできる上司であることをサボる。
 努力を惜しまない夢追い人であることをサボる。

 春の麗かな日には、頑張ることをサボり、心地よい空気の中で、少しの間、ほうけてみることも必要である。
 とくに完璧主義者や善人と言われる人たちには。  


● 古今の俳句に学ぶ季語の活かし方

 麗かという季語は、春の暖かさだけではなく、晴れた空、そして日の光を連想させます。
 ですから、俳句を詠む(作る)側も、読む(鑑賞する)側も、そのことを意識する必要があります。

  うららかや若和布に動く沖の石 (硯鼠)
      若和布=わかめ。      

  あめつちのうららや赤絵窯をいづ (水原秋櫻子)

  麗かや松を離るゝ鳶の笛 (川端茅舎)

  麗かや牧へ率ゐる牛の列 (凡茶)

  日うらうら海にハモニカ聞かせけり (凡茶)


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俳句の入口 〜作句の基本と楽しみ方 藤田湘子著
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 「意味」から「音」へ!
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posted by 凡茶 at 18:32 | Comment(0) | 春の季語(時候) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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