蛙 (春の季語:動物)

     かはづ(かわず)  かへる(かえる)
     初蛙  遠蛙  夕蛙


16春の季語・動物・蛙.jpg
        パソコン絵画


季語の意味・季語の解説
==============================
 春になると田んぼに水が張られ、繁殖期を迎えた蛙(かわず・かえる)たちが、元気よく鳴きはじめる。
 そのため、 蛙は春の季語とされている。
 
 その年に初めて聞く蛙の声なら初蛙、遠くの方から聞こえてくる声なら遠蛙、夕方の声なら夕蛙などと表現する。

 なお、蛙のうちでも、青蛙(雨蛙)と河鹿(かじか)は夏の季語とされている。


季語随想
==============================
 真夜中によその家から音楽などが聞こえてくると、それがどんなに優れた楽曲であっても、耳に障って安眠が妨げられるものです。

 しかし、聞こえてくる音が蛙の大合唱ならば、人は心地よく眠りにつくことができます。
 なぜでしょう?

 それは、蛙の大合唱には、人が聞きとるべき「意味・メッセージ」が含まれていないからでしょう。

 人は、人工の音を聞くと、そこから意味を読み取ろうと、脳を働かせてしまいます。
 音楽、テレビ・ラジオの音、話し声はもちろん、赤ちゃんの泣き声や工事の音にも拾うべき意味があります。
 人は、人が作りだした音を聞くと、無意識に意味を拾い上げようと努力してしまい、眠れないのです。
 
 これに対し、蛙の大合唱のような、読み取るべき意味を含まない自然の音を耳にすると、人は頭の中を空っぽの状態に近づけていくことができます。
 つまり、リラックスできるのです。

 俳人は、一句の中に、読者に読みとらせたい「意味・メッセージ」を盛って作品を仕上げます。

 しかし、読者がその俳句を読んだとき、「人工の音」ではなく、「蛙の大合唱」に包まれているときのような、そんな後味を持つならば、それは佳句と呼べるのかもしれません。
 

季語の用い方・俳句の作り方のポイント
==============================
 蛙はとても気持ちよさそうに鳴くので、聞いている私たちも心地よくなってきます。
 ですから、多くの俳人が蛙の声を愛でる俳句を詠んできました。
 その中から、江戸時代の俳人、高桑闌更の一句を紹介します。

  月の夜や石に登りて啼蛙 (闌更)
      啼=啼く(なく)。

 私にも、蛙の声を詠んだお気に入りの俳句があります。

  蛙田や背にまだ匂ふ競馬場 (凡茶)

 古来から、蛙は、その声を愛でるものとされてきました。
 これからも、その美意識のもと、蛙の声を詠んだ名句が次々と生み出されていくことでしょう。

 ところで、かの松尾芭蕉は、この伝統的な美意識を乗り越え、声以外の音で蛙の句を詠みました。

  古池や蛙飛こむ水のおと (芭蕉)

 何度読んでもすごい句です。
 私は、日本人が作った全ての俳句(発句)の中で、やっぱりこの句が最高傑作だと思います。
 この句がある限り、どんな蛙の句を詠んでも見劣りしてしまい、意気消沈してしまいそうですが、それでも、蛙の句を作り続けていきたいと思います。
 私の作った、「蛙の声の無い蛙の句」もご覧ください。

  四阿にままごとの跡蛙跳ぶ (凡茶)
      四阿=あずまや。公園などに建てられた、支柱と屋根だけからなる簡素な休憩用の建物。

 蛙の句には、もう一つ絶対忘れることのできない名句があります。
 小林一茶が、蛙に語りかけるように詠んだ次の一句です。

  痩蛙まけるな一茶是に有 (一茶)
      痩蛙=やせがえる。 是に有=これにあり。

 芭蕉の「古池や〜」が自然の真理を詠んだ句であるとしたら、一茶のこの句は、「人生観」を表現した句と言えるのではないでしょうか。
 こんな人間味のある句を詠めるようになりたいと思っています。
 
 さて、いくつか句を挙げてきましたが、上のどの句にも、蛙という小動物に対する愛しさが込められており、また、「あはれ」が詠まれていることを感じ取ってください。
 蛙を季語に俳句を詠む上での、参考になると思います。


≪おすすめ・俳句の本≫

新版20週俳句入門 藤田湘子著
==============================
■ どこに出しても恥ずかしくない俳句を詠めるようになる本です

 昭和63年に出された旧版『20週俳句入門』があまりにも優れた俳句の指導書であったため、平成22年に改めて出版されたのが、この『新版20週俳句入門』です。

 この本は、
   〔型・その1〕 季語(名詞)や/中七/名詞
   〔型・その2〕 上五/〜や/季語(名詞)
   〔型・その3〕 上五/中七/季語(名詞)かな
   〔型・その4〕 季語/中七/動詞+けり

 の4つの型を、俳句を上達させる基本の型として、徹底的に読者に指導してくれます。

 これらをしっかり身につけると、どこに出しても恥ずかしくない俳句を詠めるようになるでしょう。

 王道の俳句を目指す人も、型にとらわれない斬新な俳句を目指す人も、一度は読んでおきたい名著です。





季語めぐり 〜俳句歳時記〜 トップページへ
posted by 凡茶 at 02:57 | Comment(2) | 春の季語(動物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初蛙を春の季語であるとするのは納得がいきます。けれど、蛙の鳴く頃は、春でしょうか?

芭蕉の句も春なのでしょうか?私には芭蕉の句が春の侘びを詠んだとはどうしても思えない。

一茶の句の蛙相撲とは何を指しているのでしょう。春先に蛙は相撲を取るという光景も見当たらないです。

繁殖期の光景や鳥獣戯画の蛙相撲ならそれは、夏ではないのでしょうか。
Posted by GTOJP at 2010年11月26日 18:43
GTOJPさんへ。

 蛙が最も賑やかに啼く夏ではなしに、啼きはじめの春の季語として分類したあたりに、私は日本人の細やかな季節感を見いだせると思います。

 梅雨の頃から啼きはじめる蜩を秋の季語としていること、そして、秋からふわふわ舞いはじめる綿虫を冬の季語としていることにも。

 ただ、私たち俳人は、蛙は春の季語だから、春らしく俳句を詠もうとか、蜩は秋の季語だから秋らしく俳句を詠もうとか、そういう立場をとるべきではないのでしょう。

 蛙を詠むときは、田に水が張られ、生き物が活発に動き出すみずみずしい季節を、春とか夏とかにこだわらず、感じたままに詠むべきであるし、蜩を詠むときは、夏から秋へ移ろうとする頃の夕暮れの淋しさを、夏とか秋とかにこだわらず感じたままに詠むべきであると思います。

 私は歳時記に見られる伝統的な季語の分類に、日本人が育んできた文化を感じて喜び、一方で、本来は連続的であって春夏秋冬に四分割されているわけではない季節の微妙な移ろいを、俳句に詠んで楽しんでいます。

 コメントありがとうございました。
 
Posted by 凡茶 at 2010年11月27日 03:41